【江戸雑学草子】 第01回
2003年09月16日
「はなやよへいは寿司屋でござーい(1)」
「お待たせー!」
って言ったら、「誰も待っちゃいねーよ」
と、口の悪い、この界隈の江戸っ子は言い返しそうだ。
なにせ、ヤギ薬局は、江戸の真っ直中、由緒(?)ある場所に位置する。
江戸時代の町名からすると、槇町(まきちょう)、檜物町(ひものちょう)と
呼ばれたあたり。
日本橋は、路地の町でもあるから、歳格好からするとちょいとませた悪ガ
キが、そこいら中を走り回っていたに違いない。
泉鏡花の小説「日本橋」を読むと、そう言う情景が描かれている。
日本橋の袂に、魚河岸(現在、築地に移転)があった近所には、寿司や天
ぷら屋の屋台が多くあったそうだ。
古くからあった押し寿司(元祖は馴(な)れずし)に代わり、江戸前寿司が
世に出たのは、文化文政の頃だから、未だ200年しか経っていない。
江戸前寿司(東京湾でとれる魚を使ったにぎり寿司)を有名にしたのは、
花屋與兵衛(はなやよへい)だ。くれぐれも、ファミレスのとは無関係で
あることを覚えておいてください。
花屋與兵衛は、福井藩の下級武家の生まれで、色々な商売を経て、江戸前
寿司を発明したと言われている。(寿司の考案者は諸説ありますが、今回
はそれらの紹介は控えます)
当時は、歓楽地として栄えていた両国橋付近で、屋台から始めて、回向院
(現、墨田区両国2丁目)の前に出した店が大当たりで、高級料理の「與
兵衛ずし」として一世を風靡した。
しかも、そのお店は、昭和初期まで続いたと言うから驚きだ。
江戸っ子の寿司好きに支えられた事がうかがえる。
まずは、江戸前寿司の始まりをお話ししましたが、ご存じの通り、江戸前
とは東京湾そのものを示し、そこでとれた魚を料理したわけだ。
今じゃ、東京湾も工場群に囲まれて、漁業には縁遠い土地になってしまっ
たが、それでも、「羽田の穴子」など名産と呼んで良い魚もある。
では、次回(180号)では、今現役のお寿司屋さんに、
「粋な寿司の食べ方」を取材してきたので、お楽しみに!
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