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【江戸雑学草子】 第04回

2003年09月27日

絵島生島(えじまいくしま)


 さてお立ち会い、ご用とお急ぎでない方は、寄ってらっしゃい、見てらっ
 しゃい。

 天下の色男、花川戸助六の話でござーい。

   助六は、花川戸助六と言い、曾我五郎の仮の姿だが、この花川戸とは
   地名で今でも台東区花川戸としてある。


 ずいぶんと前だが、助六の舞台を見たことがある。

 はっきり覚えているのは、NHK教育で放送されたものを見たのだが、そ
 の時「あっ、舞台で見たことがある」と思った記憶がある。

 そうだとしたら、えらい昔の事だ。

 確か、大阪の御堂筋沿いにある、歌舞伎座(今の松竹座?)のはず。

 歌舞伎座には、1回や2回じゃなくもっと行った事があったので、そこで
 助六を見たことになる。

 それが、成田屋(団十郎の屋号)のものかは、なんの記録も無いのでわか
 らない。

   蛇足だが、河原者と呼ばれていた役者が商人と同じように、屋号をつ
   けることはけしからんと言われた。そんな時代が江戸時代だ。
   
   でも、商売柄読み書きが出来たし、身分はともあれ、人気者であるば
   かりか、文化人として地位は築かれて行ったと思う。


 さて、お立ち会い、助六の衣装がまた派手なこと、派手なこと。

 まっ、江戸時代の舞台の照明はろうそくであるし、火事防止から使用する
 ろうそくの数も限られていたので、今から考えられないほど暗い舞台だっ
 た。

 その中で、良く見えるように、衣装を派手にしたそうだが、今もってその
 派手さは変わらない。以前より増して派手にしている節がある。

 それは、助六をはじめて演じた2代目団十郎の記録とか、美男で有名な8
 代目団十郎(1823〜54)を3代目歌川豊国が書いた浮世絵(錦昇堂市川団十
 郎の助六)を見ても、現代の方があでやかなのは、テレビのカラー放送を
 意識しているのやら、真意はわからない。


 まず、現代に見る助六の定番の出で立ちは、

 頭に巻くは、江戸紫の鉢巻きを横で結ぶ、病鉢巻き。

 黒羽二重の小袖、緋色の襦袢(じゅばん)。

 水泳教室からの帰りかと間違う様な赤ふんどし(いつの時代の水泳教室か
 のつっこみはご勘弁を)。

 足袋は黄色なんだが、いつの時代から足袋を助六に足袋を履かせたのでだ
 ろう。しかも助六は、蛇の目傘を持っての登場じゃ、雨か雨あがり。それ
 に足袋は不自然と、疑問が残る。

 腰に、小刀と尺八。


 助六は、1713年(正徳3)、木挽町(こびきちょう)山村座で2代目市川団
 十郎によってはじめて演じられたが、その時の題目は、
「花館愛護桜(は なやかたあいごのさくら)」。

   木挽町とは、現在歌舞伎座がある中央区銀座四丁目12番15号あた
   りである。

 この時、すでに、曾我兄弟の仇討ちという筋立てを、2代目団十郎が確立
 し、10数年前に起きた赤穂浪士の仇討ちブームにものり、舞台初日から
 評判になる。


 ところが、どっこい1714年(正徳4)に絵島生島事件が起きる。

 せっかく、今日のお題にあげたのだから、ちょっとこの事件について書い
 てみるが、しかし長くなりそうだ。(ご辛抱ください)


 7代将軍家継の生母月光院と、前将軍家宣の正妻天英院の大奥での権力争
 いと、幕府の粛正政策に巻き込まれた、月光院に使えていた上臈(じょう
 ろう)絵島(幕臣で本名は白井美喜)のえん罪物語。


 主人月光院の名代で、前将軍家宣のお墓参りに芝の増上寺に行き、その帰
 り山村座に寄り、精進落としの芝居見物のあと山村座の座頭である生島新
 五郎と茶屋で宴会をした。

 だが、その帰り、暗黙の了解で空いているはずの城門(平川門)が閉めら
 れており、一騒動が起きた。(芝居見物で閉門時間後に御城に帰るなんて
 事は、過去何度もあったんでしょうね)

 江戸幕府、開府100年にもなると、商人の台頭とともに、貨幣経済が発
 展し、大奥−商人−芝居という様な利権が渦巻いていたのを想像するのは
 容易だ。そのような腐れ縁をも断つ目的の粛正だった。


 この事件で、総勢1500人が罪に問われた。

 絵島は死罪、兄の白井平右衛門は切腹を言い渡され、生島新五郎は三宅島
 に遠島を申しつけられる。

 だたし、絵島は元主人月光院の助言もあり、死罪を免れ、信州の高遠に流
 された。


 そこで、時が流れるとともにご時世も変わる。

 将軍家継が8歳で他界すると、紀州の徳川吉宗が将軍となった。


 吉宗将軍誕生に力を貸したのが、月光院。

 吉宗が将軍に付いたときの恩赦で、絵島生島事件お関係者の罪が許された
 のは当然の事。


 絵島も名誉回復されたのだが、生涯高遠にとどまり江戸に戻らなかった。

 これは、津本陽著「大わらんじの男―八代将軍・徳川吉宗」での話で、こ
 の時、絵島だけ許されなかったと言う説もある。

 ただ、江戸時代にあっても歴史は男中心に書かれており、きっと絵島の記
 録などどこにも残っていないだろうから、彼女がどうなったか確かめる由
 もなし。


 しかし、とんだとばっちりを受けたのは、2代目団十郎だろう。

 なにせ、彼も出ていた山村座が、絵島生島事件のおかげで取り壊されてし
 まった。

 それ以降の団十郎はどうなったか?

 興味ある話として、早瀬詠一郎の書き下ろし小説「絵島団十郎」集英社に
 よると、...

  それから一年後の正月に、団十郎は、堺町中村座(日本橋人形町3丁目
  あたり)で助六を「坂東一寿曾我(ばんどういちことぶきそが)」とし
  て演じた。

  その時の助六の鉢巻きは、初演の柑子色木綿が、黒絹に変わり、長刀が
  小刀になる。そして「なぜ助六が尺八を」の謎は、小説「絵島団十郎」
  のメーンテーマである。

 鉢巻きの色にこだわるが、前出の8代目団十郎の鉢巻きも黒だ。

 いつから、紫に?

 まさか、永谷園が仕掛けたんじゃあるめぇ。


 と言うことで、次回は助六と当時のコマーシャルについて語ります。

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