【江戸雑学草子】 第11回
2003年11月05日
江戸っ子は、水道の水で産湯をつかい
手前、生国と発しますは江戸でござんす。
水道の水で産湯を使い....。
と、江戸っ子ならこうなる。
えーっ!?
江戸っ子は、隅田川の水で産湯を使うんじゃないの?
まさか、大川の水を汲むのは一苦労。
江戸には、ちゃんと上水道が通っていた。
水道は、家康が江戸を作った時から計画され、
江戸の町の隅々まで巡らされたのである。
よく、時代劇で井戸から水をくみ上げるシーンを見る。
あれは、井戸でなく水道。
江戸市中では、水道の主要幹線を石樋、その他を木樋(もくひ)とし、屈
曲点や分岐点には升を設けた。
水道の木樋は、道路中央に埋没され、そこから町屋敷内への枝管には、木
樋だけでなく竹樋(たけとい)も用いた。
枝管から導かれた水は、上水井戸に溜まり、桶で汲み出して長屋の住民が
共同で使った。
では、その水はいずこから???
ご存じ、神田上水、玉川上水からだ。
神田上水は、井の頭池を主な水源に、お茶の水掛樋(かけひ)で神田川を
渡り、京橋から北の日本橋、神田方面に水を供給した。
玉川上水は、多摩川の水を羽村(羽村市)で取水し、四谷大木戸を経て、
江戸城や大名屋敷、さらに京橋以南の町人地に供給された。
その水道の歴史だが、
神田上水の元になる小石川水道が出来たのは、天正18年(1590)。
神田上水が完成したのは、寛永6年(1629)。
承応3年(1654)に40数キロの玉川上水を完成させた。
江戸初期には水道網が江戸中に張り巡らせれていた。
そして、配水管総延長が150キロメートルと言うから驚きだ。
しかも、神田上水、玉川上水は、明治34年(1901)、
千川上水は明治40年(1907)の20世紀まで利用されたのである。
他国の事情を見ると。...
ロンドンでは、1618年に約30キロ離れた高地の湧き水を、ニューリ
バーという人工水路で引いて地上の木管で市内に配水を始めた。
パリはロンドンより遅れて、17世紀では、セーヌ川の水を水車でくみ上
げていたそうだ。
17世紀において一番近代的な都市が江戸だったと言える。
え??
じゃぁ、下水道はパリが上手だろうって?
いやいや、江戸には、下水道が不要だった。
その話は、この次に。
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