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【江戸雑学草子】 第12回

2003年11月11日

ミクロコスモスな江戸



 前回は、江戸の水道についてお話した。

 ところで、水道料金は徴収されたか?

 の、疑問があるかも知れない。


 はい、「水銀(すいぎん)」という名目で支払われた。

 ただ、長屋の住人、借家や借地住まいの人は、家賃とか地代にそれが含ま
 れていたので、直接支払う事はない。

 表通りに面した屋敷の間口の広さに応じて地主が払った。


 これは、町人階級の事だが、武家では、百石以下から、五十石以上までを
 四段階に分けて水銀が賦課された。


 従量制でなく、定額制で使い放題のはずだが、

 流下式水道では、必要量を自分でくみ出す労力が必要だったし、

 水道はありがたいものと考えて、主に飲み水として使用し、

 雑用には浅井戸の水を使うほど、水道の水を大切にした。


 いかに隅田川が近くに流れていても、現代のように消毒して飲む方法もな
 く、遠くから飲料に適した清水をわざわざ引いたわけだ。


 汚水処理は、結局垂れ流しと言う事だが、量は大したものではなく、隅田
 川等に流れ込む前に土に吸収されたし、川を汚染する心配もなかった。


 たとえば、お茶碗は、食べた後、お茶をついで飲む事によってすすぐので
 、洗う必要はない。

 よく、禅僧が今でもそうやって食事をすると言う話をテレビで見た事があ
 る。


 さて、ここからは、食事中の方はお読みにならない方が良い。


 つまり、屎尿については、くみ取り式トイレで、外に流れ出すことはない。


 25年近く前の東京都内ですら、くみ取り式があったので、お若い方でも
 小さいとき利用した方もおられるだろう。


 月に1回か、二月に1回の頻度で、バキュームカーで吸い上げてもらって
 いたものだ。


 なかなか、くみ取りに来ないと、いつかあふれ出てしまわないかと、心配
 した。

 いまだに、そんな夢を見ることがある。(>_<)


 この、くみ出した屎尿は、結局海に捨てて、魚のえさにでもなったのだろうか?

 積出港が、今成田空港行きのバスターミナルがある、箱崎にあったそうだ。


 でも、江戸では、そんなもったいないことはしなかった。


 いやいや、結構お金になった様だ。


 江戸時代の、屎尿は、近隣の農家で、肥料として使われたわけだが、

 それを、現代の科学肥料に換算した資料がある。


   肥たご一荷つまり天秤棒の両側に吊した二つの桶には、約五十キログ
   ラムの下肥が入った。

   それに含まれる窒素は三百グラム、窒素肥料の代表である硫安(硫酸
   アンモニウム)に換算すると約三キロになる。

   窒素分はやや少ないが、燐酸分も含まれているから、肥料としての効
   果は非常に優れているのだ。

   しかも、製造に要する経費はゼロで、ただ集めて来れば良いのだから
   、エネルギー効率は恐ろしく良い。

           ─ 大江戸仙境録、石川英輔、講談社文庫 ─


 この、屎尿は、売り買いされて、専門の問屋があった。

 そして、日本橋通町で出るものが一番高く、武家のそれは安値で取り引き
 された。

 結局、江戸一番の繁華街にある町家と武家との食べる物の差が、そこにあ
 ったのだ。


 ところで、ミクロコスモスとは?

   ガラス瓶の中に、空気と水、砂や石などを入れた中に、小魚、ミジン
   コ、水草などを適当な比率で入れて、密封する。

   すると、魚がミジンコを食べ、その排出物を栄養としてミジンコが育
   ち、水草が空気中と水中の酸素の量を調節して、この小さな世界がき
   わどい釣り合いの上に生き続ける。(「大江戸神仙伝」石川英輔、講
   談社文庫)

 まだ工業化されていない、夜明け前(???)の、ゆったりとした江戸は
 、さながらミクロコスモス(microcosm、ミクロの宇宙)の様だ。

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