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【江戸雑学草子】 第14回

2003年 11月18日

日本橋一丁目再開発ビル


 日本橋一丁目再開発ビルと言われても、ピンとこない。

 「ああ、東急百貨店の跡地か」と、しばらくしてわかった。


 アメリカの大手証券会社がメインテナントで、
 平成16年3月に竣工予定だ。

 大学の社会人向け分校もそのビルに入ると聞く。


 東急百貨店日本橋店が、白木屋百貨店を引き継いだのが昭和31年。

 地下鉄日本橋駅(銀座線と東西線)に直結している食料品売り場だけは、
 日本橋の住人やお勤めの人には、大変評判が良かった。

 老舗の出店も多く、良いものが安く買えた。

 こう言っちゃなんだが、三越や高島屋ほど混まない店なので、長男が小さ
 い頃、よく屋上に行って遊ばしたものだ。

 中央通りに並ぶ他のデパートに比べると、やはり時代に取り残された感じ
 を、私は持っていた。


 でも、白木屋は、明治19年にいち早く洋服部を作り、「白木屋仕込み」
 として当時流行の最先端を行っていた。

 そんな時代もあったのだが、平成11年1月にその長い歴史を閉じた。


 そもそも、白木屋は、長浜(滋賀県)出身の大村彦太郎が京都で材木商と
 して成功した後、寛文2年(1662)に、今建設中の、日本橋一丁目再
 開発ビルの一角で創業。

 元が材木商なので、「白木」とあるのも、なるほどと納得。

 延宝元年(1673)創業の三井越後屋と、日本橋の北と南で、大店の呉
 服屋として競い合った。


 当時、白木屋の奉公人は、すべて11〜12歳の少年を京都で採用し、一
 人前の商人として教育された。

 最初は、子供(こども)と呼ばれて、使い走りや店内の雑用をし、夜は習
 字、そろばんなどの稽古をするのだが、

 修行はなかなか辛いもので、毎年十数人入店するうち、三分の一は子供の
 段階で脱落したそうだ。


 しかし、修行を積み、若衆、手代と、勤め上げて後、一軒店を持たせても
 らう。


 白木屋も、19世紀初頭になると、奉公人の数が200人にも及ぶ。

 全部、男!

 飯炊き、洗濯まで全員男!


 店内に女性の奉公人は一人もおらず、えらく殺風景な感じだが、当時の江
 戸店(えどだな=江戸支店)では、これが普通だった。


 確かに三井越後屋も、出店である江戸では、リクルート活動はしなかった。

 理由の一つに、軟らかい口調の京言葉が、客に人気があったとも聞く。


 そんな事情で、店を持つまで、店内に住んでいたわけで、所帯を持つのが
 ずいぶん遅くなる。


 江戸の人口は、女性に対して、極端に男性が多かった原因は、ここにもあ
 った。


 時代別男女比は、

  享保18年(1733)、男性 100 : 女性 57.6 人
  弘化 元年(1844)、男性 100 : 女性 90   人
  慶応 3年(1867)、男性 100 : 女性 99.5 人


 この数字から見ても、江戸の女性は、大事にされたそうだ。


    ─ 参考文献「雑学・大江戸庶民事情」石川英輔、講談社文庫 ─

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