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【江戸雑学草子】 第17回

2003年11月28日

歳末風景(1)


 さて、11月もあと2日で、気ぜわしい師走に突入だが、

 江戸時代、今日28日は、まだ11月5日。


 旧暦、つまり太陰太陽暦と今の太陽暦(グレオリオ歴)と差がある。


 太陽の運行にもとづく1太陽年(365.2422日)を基本に1年の日数
 をきめた暦法が太陽暦で、平年を365日とする。


 それに引き替え、

 太陰太陽暦は、月の満ち欠け(朔望:さくぼう)に暦の日付をあわせながら
 、太陽の運行すなわち季節にもあうように調整した暦だ。

 太陰暦は、月の満ち欠け(朔望:さくぼう)に日付をあわせる暦で、1朔望
 月の長さは平均29.530589日であるから、暦の1カ月を29日と
 30日の組み合わせでつくると、月の満ち欠けと各月の日付の関係はほぼ
 一定にたもたれる。

 太陰暦の12カ月を1年とすると、太陽年より約11日短くなるため、何
 年もの間に季節との大きなずれが生じてしまう。

 ところが、日付と季節が大きく違うと、季節に頼る農作業に支障が出てく
 るため、何年に一度、閏(うるう)の月をもうけて調節をした。


 どうやら、お正月が、一番寒い時期に来るように設定したと言う説もある。

 「新春」と呼ばれる様に、まさにこれから春を迎える時節が、お正月だっ
 たわけだ。


 太陽暦は、グレオリオ歴と呼ばれる通り、

 16世紀にローマ教皇のグレゴリウス13世によって採用され、

 旧来のユリウス暦の閏年をさらに厳密にしたものである。


 明治政府は1872年(明治5)に太陽暦を採用、

 明治5年12月3日をグレゴリオ暦の1873年(明治6)1月1日とした。

 開国以降、欧米列強の暦との調整が必要となったからである。

 また当時、政府は財政難で、グレゴリオ暦の採用によって明治5年12月
 分の政府経費を節約することも変更の目的であったといわれる。

 つまり、お役人の給料を1ヶ月分ちょろまかしたわけだ。


 さて、お正月を迎えるまで、江戸時代のお正月風景を辿ってみましょう。

 ちなみに、旧暦の2005年1月1日は、1月22日となります。

                 参考資料:エンカルタ総合百科(2003)

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