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【江戸雑学草子】 第19回

2003年12月05日

歳末風景(3)与話情浮名横櫛
(よわなさけうきなのよこぐし)


 久々に、歌舞伎ネタだが、

 また、どうして?

 「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」が、

 江戸の歳末風景と関係があるかは、

 さて、お立ち会い!!


 「与話情浮名横櫛」と言われても、ピンと来ない方は、

 「お富さん」で、お分かりかな?


 昭和29年、春日八郎が歌って大ヒットした歌謡曲の「お富さん」。

 マスター八木が、7歳の時だ。


 私も、大きな声を張り上げて!


   死んだ筈だよお富さん、

   生きていたとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さん、

   ええさほう、玄冶店ーーーー♪


 と歌ったのを、はっきり覚えてる。


 「与話情浮名横櫛」は、九幕三十場という大長編の芝居で、

 初演は、1853年(嘉永六)三月、中村座。

 作、三世瀬川如皐。

 与三郎を八代目団十郎、お富を四代目菊五郎、安を三代目中村仲蔵が演じ
 た。


 九幕のうち、あまりにも有名なのが、第三幕「源氏店(げんやだな)」。

   玄冶店を、わざと源氏店に変えてある。

   ちなみに、玄冶店は、地下鉄人形町(日比谷線/都営浅草線)の駅の
   すぐ近く。


 切られ与三郎と異名をとる「与三郎(よさぶろう)」が、

 チンピラ仲間の「蝙蝠安(こうもりやす)」に連れられて小銭をゆすりに
 入った妾宅に、

 かって自分の女だった「お富」が誰かの囲われ者として暮らしているのを
 見た。

 与三郎にして、お富は、小銭(二分)をもらって済まされるような相手じ
 ゃない。


 そこで、与三郎は、座敷の内へ上がり込み

 「この家のあらいざらい、釜の下の灰まで俺が物」と、

 ほうかむりをとって、

   もし、御新造さんえ、おかみさんえ、

   ーーーお富さんえ、

   イヤサお富、

   久しぶりだなあ。


 名場面だ。それこそ「成田屋ーーー!」と声がかかる。


 で、本題にもどるが、

 『釜の下の灰まで俺が物』とは、意味が深い。


 江戸時代、いや昭和の初めまで、「灰買い」という商売があった。

 家庭に出る、かまどに積もった灰を買いに回る業者がいた。


 灰をどうするか?


  木灰(きばい)のアルカリ主成分は炭酸カリウムで、水に溶かすと加水
  分解によって強いアルカリ性の水溶液である。

  苛性ソーダや炭酸ソーダの様な工業用薬品が手に入らなかった時代には
  、木灰がその役割を果たしていた。

  農業用としての木灰は、肥料の三要素の一つであるカリ肥料として非常
  に優秀であり、土地が酸性になりやすいわが国では、アルカリによる畑
  土の改良剤としても広く使われた。

  また、紙漉(す)きでは、原料植物から純粋な繊維を得るために、灰汁
 (あく)で洗って水で溶けない成分を除いて精製した。

  絹の精錬にも、表面のセリシンを溶かして絹独特の風合いを出すために
  灰汁を使った。

  そのほか、洗剤としても、陶器の釉薬(うわぐすり)としても使われた
  し、藍や紅花は殿植物性染料による染色にも、色を調節するために大量
  に使われた。

  ちょっと変わったところでは、酒が酸っぱくなった時の中和用にも使っ
  た。

             出典:「大江戸仙界紀」石川英輔、講談社文庫


 「釜の下の灰」も、流通可能な財産だったわけだ。

 年の瀬の大掃除を控えて、どこのお家も、「灰買い」にかまどの掃除をか
 ねて灰を売っていた。


 ところで、話が長くなるついでに、与三郎の有名なせりふを書きとどめて
 おきましょうか?

 宴会芸に使えるかも知れません。


   しがねえ恋の情けが仇、

   命の綱の切れたのを、どう取りとめてか木更津から、

   めぐる月日も三年(みとせ)越し、

   江戸の親にゃァ勘当受け、よんどころなく鎌倉の、

   谷七郷(やつしちごう)は食い詰めても、

   面(つら)に受けたる看板の、疵(きず)がもっけの幸いに、

   切られ与三(よそう)と異名(いみょう)を取り、

   押し借り強請(ゆすり)も習おうより、

   慣れた時代の源氏店(げんやだな)、

   その白化(しらばけ)か黒塀の、格子作りの囲いもの、

   死んだと思ったお富たァ、

   お釈迦様でも気が付くめえ。

   よくまァおぬしは達者でいたなァーーー。

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