【江戸雑学草子】 第21回
2003年12月10日
蒲田行進曲
JR蒲田駅のチャイムが、蒲田行進曲と言うことをご存じですか。
以前、松竹の撮影所が、蒲田にあったからです。
映画「蒲田行進曲」は、つかこうへいの直木賞作品を映画化したもの。
クライマックスは、「階段落ち」。
そう、新選組隊士(銀ちゃん)と勤王の志士(ヤス)とのチャンバラで、
斬られた大部屋役者(ヤス)が、何十メートルの階段を転げ落ちる場面。
まさか、池田屋の階段がそんなに長いはずがあろうものか。
まっ、話なんだから。映画なんだから。
元治元年(1864)6月、京都三条小橋の池田屋で密談中の尊皇攘夷派
を、新選組が襲撃。
新選組は、華々しくデビュー!!!
と、行きたいが、そうは問屋が卸さない。
近藤勇は、養父らに宛てた手紙では、新撰組単独で攻め、終わった頃、
会津と桑名の兵が駆けつけたとある。
それが、池田屋襲撃のストリーの元になった様だ。
つまり、近藤隊と土方(歳三)隊の2隊にわかれ、
近藤は、池田屋。
土方は、四国屋へ向かった。
池田屋に踏み込んだ近藤をはじめ、沖田総司、永倉新八、藤堂平助達は、
多勢に無勢の激闘を繰り広げる。
近藤は「土方はまだか」と叫びながら戦う。
しばらくして、「待たせたな、近藤さん!」と土方が到着し、
新選組は勢いを増して尊攘派を圧倒した。
ところが、「孝明天皇紀」第五「見聞雑記」には、
「四つ半時(午後11時)頃」途中で、会津・桑名勢が合流し、
新選組とともに50名の大勢で池田屋に乱入した、と記す。
さらに、土方隊として池田屋事件に参加した島田魁(かい)も、
「六月五日夜、会桑両藩当組ト合ワシメ、七ッ時(午前3時30分)頃切
込」んだと日記に記している。
時刻の食い違いがあるが、新選組の単独行動ではなかったかも知れない。
このとき木戸孝允は、池田屋にくるのがはやく、対馬(つしま)藩邸にむか
ったため事件をのがれている。
木戸孝允は、桂小五郎のこと。
鞍馬天狗、月形半平太はさておき、
新選組系映画の役者は、ほぼ揃いました。
そしてフィナレーに、蒲田行進曲を♪♪♪
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