【江戸雑学草子】 第23回
2003年12月14日
べらんめえ
「大江戸神仙伝」(石川英輔、講談社文庫)の、一文を見て下さい。
時代は、文政五年(1822)。
てめえは、いってえどこのへこっ蛸(たこ)でえ。
蛸だか椋鳥(むくどり)だか知れねえが、
ここは、生き馬が目ン玉抜かれても、三丁歩かねえことにゃ
気がつかねえ魚河岸(かし)の前(めえ)だ。
こちとらあ、江戸っ子で気が短けえんだ。
できそこないののろま人形じゃあるめえし、
丸太ン棒みてえに突っ立ってやがると、
だだじゃあすまねえからそう思いやがれ。
文章にすると、読めるし、わけがわかる。
ところが、180年前に、目の前で、こう啖呵切られても、
ただ、ぽかーんとするだけだろう。
なぜかと言うと、
だいいち、えらい早口だ。
そして、早口だからトーンが高い。
きっと、耳をつんざく様な感じで、まくし立てられるんだろう。
近所の、料理屋の旦那なんだが、
この様な、べらんめえ口調の真似を出来る人がいて、
ある時、新年会かで、披露してくれた。
耳が、言葉についていけない。
所々、わかる単語が出てくるのだが、わけがわからない。
では、江戸言葉のルーツはいかに?
江戸は、何もない状態の、海辺の野っ原に出来た町だから、
移住民の集まりであった。
その中でも、一番目立って活躍したのが、
京、大坂(大阪は、大坂と書いた)の商人達であるから、
彼らがしゃべった言葉が元になっていると言う話を発見。
ある音韻(おんいん)学者から聞いた話だが、
生粋の日本橋言葉に一番近いのは、
天明の飢饉以前の船場言葉だろう。
─「江戸東京《奇想》徘徊記」種村季弘、朝日新聞社─
今の日本橋言葉と船場言葉を比べても、共通点を見いだせないが、
今の日本橋や船場の言葉と、天明年間(1781〜89)のそれぞれを比較しても
、やはり一緒じゃない。
(文化・文政時代だが)簡単な例として、
たとえば、
「〜です」がいけない。
大変、下賤(げせん)な者しか使わなかった。
では、正しくは。
行くのです >> 参ります。
安いのです >> 安うございます。
と、なる。
丁寧で、繊細な日本語が見えてきませんか?
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