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【江戸雑学草子】 第24回

2003年12月17日

女大学

 貝原益軒が書いたとされる「女大学」は、

 江戸中期〜明治期に普及した女子教訓書で、

 結婚後の嫁としての心構えをのべている。


 主従関係における主君に夫をなぞらえ、

 夫につつしんでつかえること、

 すべては舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)に聞き、

 その教えにしたがうことなど、封建道徳が強調されている。


 確かに、

 勝海舟のオヤジさんの小吉夫婦は、えらく姑にいじめられたそうな。

 また、勝海舟自身、世に認められるにつれて何人もの妾を囲っていたが、
 それに対して、勝婦人のおたみさんはさぞ耐えたんでしょう。


 と思いきや、

 彼女は晩年、死んだら、

 (数え41歳で死んだ)長男の小鹿(ころく)の墓に入れておくれと、

 家人に頼んだらしいから、よほど腹に据えかねていたに違いない。


 こうなると、「女大学」の教えも怪しくなる。


 都々逸の一節に、

   九尺二間に過ぎたるものは、紅のついたる火吹竹

 と、粋な文句があります。


 九尺二間とは裏長屋の一軒分で、

 そこに口紅をつけた唇で火吹竹(ひふきだけ)を吹いて火をおこしてくれ
 る女房が来てくれるなんて、身分不相応なものである。

 だから、いて下さるだけでも有難いのだから、夫はひたすら妻の機嫌をと
 りなさいと言うことだ。


 武家はともかく、町人階級では、女大学の逆を教えられる。


 ここで、「世事見聞録」と言う本に出ている、町人の夫婦関係についての
 一部を紹介する。


   今、軽き裏店(うらだな)のもの、その日稼ぎのものどもの体(てい)
   を見るに、親は辛(つら)き渡世を送るに、

   娘は化粧し、よき着物を着て遊芸または男狂いをなし、

   また夫は未明より草履(ぞうり)、わらじにて棒手振り(ぼうてふり)
   などの家業に出るに、

   妻は夫の留守を幸いに、近所合壁(がっぺき)の女房同士寄り集まり
   、おのれが夫を不甲斐性ものに申しなし、

   (中略)

   また紋かるた、めくりなどという小ばくちをいたし、

   あるいは若き男を相手に酒をたべ、

   あるいは芝居見物、そのほか遊山物まいりなどに同道いたし、

   雑司ヶ谷・堀之内・目黒・亀戸・王子・深川・隅田川・梅若などへ参り、

   (中略)

   また晩に及んで、夫の帰りし時、終日の労も厭(いと)いもやらず、

   かえって水を汲ませ、煮炊きをいたさせ、

   夫をたぶらかし、空(す)かして使うを手柄とし、

   女房は主人のごとく、夫は下人のごとし。


 まあ、話半分としても、かなり男が遠慮していた様子がうかがえる。


 それは、なんと言っても、女性の数が極端に少ない江戸だったから、
 女性が威張っていられたと思われる。


 しかし、私の周り、いや私自身にも身につまされる、部分もあるや?

 いやいや、そんな事、おくびにでもだすなど、恐れ多い話だ。


 まったく、今も昔も身分の違いなく、妻に頭が上がらない夫が多い。

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