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【江戸雑学草子】 第29回

2004年01月08日

江戸銭湯ツアー

 銭湯の歴史はえらく古く、

 室町時代の後半には、京都に数軒あったそうです。


 もともと風呂屋と湯屋は、

 風呂屋が蒸気浴、湯屋が湯浴と別々のものでした。

 つまり、前者が蒸し風呂、後者が今の銭湯のようなプール型のもの。


 それが、湯に入りながら蒸気浴を行う戸棚風呂(とだなぶろ)が登場し、

 さらに、湯気が逃げないように、

 入り口の仕切を低くした柘榴口(ざくろぐち)が開発されると、

 次第に風呂と湯の区別がなくなったと言われております。


 えー、

 文化年間には、江戸の銭湯は六00軒ほどあったそうです。

 営業時間は、明け六つ(午前六時)から暮れ五つ(午後八時)まで。

 湯銭は、大人が六〜八文、子供が四〜六文程度。

 高いか安いか、とんと見当がつかないですが、

 何時行っても、大勢のお客でにぎわっていたそうです。


 初め、銭湯は男女混浴のところが多く、

 しかし、

 風紀が乱れると言うことで、寛政三年(1791)に

 禁止されてしまった。ああ、残念。

 男女の浴室を分けるか、男女を別々の日に入浴させるように

 改められました。


 どうやって、銭湯に行って、湯を使うかって?


 「ようございます。手前どもがご案内しましょう。」

 と、現在の八重洲である檜物町の湯の番頭さんに案内を頼みました。


   まず、のれんをくぐってくださいませ。

   はい、くぐるってーと、番台がございます、

   ここで湯銭を払ってくださいまし。


   えっ、平成も・同じで・番台があって・湯銭を払うんでございますか。


   歯磨き粉、楊枝、膏薬など御用がございましたらお求めくださいまし。

   いや、近所の薬屋に頼まれ商っておるだけでして、

   えー、なですか、サービスってやつでございます。


   へい、もうここは脱衣場ですから、お召し物をお脱ぎンなって。

   はい、下帯も、全部。スッポンポンになってくださいまし。


   そこに、ずーっと横に延びた竹棒がご覧ンになれますか?

   その下の溝みたいなのが小流しで、

   竹棒と小流しが境になって、それから先が洗い場になっております。

   脱衣場と洗い場は、仕切られておりません。


   その先をご覧ンなると、板壁がございます。

   ンで、その下の方に、板壁をくり抜いた四角い穴ーがァ、

   はい、穴の上に唐風の柿(こけら)屋根が付いておりまして、

   えー、それが柘榴口で、当店自慢の作りになっております。

   高さが1mちょっとしかございませんですから、

   こうーォッ、かがんで、くぐってくださいまし。


   この柘榴口は、湯煙が湯室にこもるよう、

   また湯が冷めない工夫なのでございます。


   湯室の中は、狭くて、窮屈でして、あいすみません。

   湯気がこもってますんで、ろうそくもおけませんから、

   暗ラーくて、手前どもの顔もよーくご覧ンなれません。


   足もとにお気をつけなさって、湯槽までおいでください。


   湯は大変熱つうございますから、

   ちょいとからだを湿らせるほどに浸かって、

   その後は、湯槽から突き出た板張りがありますので、

   はい、それに座ってじっくり汗を流してください。


   じゃ、暖まったら、洗い場においでください。

   上がり湯を、こうやって差し上げますから、

   糠袋(ぬかぶくろ)を使ってからだを洗い流してくださいまし。


   あと、お時間がございましたら、

   お二階に、お上がり下さいませ。

   お茶、お菓子や鮨を用意しております。


 と、江戸銭湯ツアーはいかがでしたか?


 銭湯は、お風呂場というだけでなく、社交場として利用されていました。

 また、洗い場の壁には、芝居や薬品などの引札(ひきふだ=広告)が貼ら

 れて、広告宣伝の場でもあったのです。

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