【江戸雑学草子】 第30回
2004年01月12日
江戸に「お受験」はあったか???
幕末の頃の識字率(読み書き出来る人口比)として、
武家100%、庶民の男子54%、同じく女子19%と言う数字がある。
それぞれの人口がわからないので、全体で何%と数字が出ないが、
当時の世界としては、他国と比べて高い水準だったらしい。
明治11年、福沢諭吉は「通俗国権論」に、日本の識字率は世界一と書いた。
その高い識字率を支えたのが、寺子屋だ。
江戸では、寺子屋の「屋」が商売に通じるとして嫌い、
「手習い師匠」とか、ただ「手習い」と呼んだ。
幕末時の、江戸市中の手習い師匠の数は約1500あった。
手習い師匠になるのに何の資格もいらない。
自宅の表に看板を出し、教室は自宅をつかう。
完全な私塾で、それに対して幕府はなんの干渉もしない。
もちろん、習う方の資格も、年令も問わない。
江戸市中のごく普通の子供達は、
数えで7〜8歳になると、親につれられて、師匠に入門する。
入学金も授業料も、特に決まりがなく、
入学日も特に決まりがない。
謝礼は払っていたが、それこそお坊さんに払うお布施の感覚で、
ただ、初午の日(2月)に入門する子供が多かった。
入塾した子供は、まず字を習う。
紙が真っ黒になるまで、何度も書く。
それをお師匠様の前に持って行き、直してもらい。
その直してもらった後を何度もなぞって字を習う。
師匠の特技として、子供と相対して座っているわけだから、
子供が書くように、自分からすると全く逆に、
字を書いて見せなければならない。
入学試験はなかったが、落ちこぼれも、登校拒否もなかった。
競争でなく、あくまで、読み書きが出来る様になるまで教え、
希望者にはそろばんや、特に女子には裁縫や生け花を教えた。
教科書は、全国的に有名な「往来」ものがあったが、
それこそ、師匠が独自で作ったりしたそうで、
現存する江戸の教科書として7000種類のものが残っている。
ただ、一番おどろくことは、江戸庶民が非常に教育熱心だった事だ。
何歳になったら、学校に上がらなくてはならないと言う
法律も決まりもなかったのに、
江戸の中心部の就学率は、ほぼ100%に近く、
日本橋、本郷、赤坂あたりでは、女子が男子のそれを上回る所もあり、
もちろん裏長屋の子供達も、せっせと手習いに通った。
就学年数は、それこそ子供次第で、
2年で終了して、働きに出るものもいたし、
3年、4年かかる子もいた。
これは、完全なマン・ツー・マンの教育を意味している。
一番年長だと、十二〜三歳まで通っていたから、
女の子だと、手習いを終えて1〜2年でお嫁にいく子だってざらだ。
裕福な家の子は、その後私塾に通う。
四書の素読(そどく)などしているうちに、
どう間違えたか、吉原塾に足が向く。
足音が すると論語の 下に入れ
隠すのは、細見(さいけん)と言って、遊郭の吉原を書いたタウン情報誌のこと。
江戸の成人式は、15歳だったようだ。
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