【江戸雑学草子】 第32回
2004年01月20日
江戸の離婚
えーッ、なにかい、心中の次は離婚だってェ!
正月から縁起でもねーなーァ
嬶(かかあ)に逃げられたってこたァねェーだろーなァ?
「いや、実は土曜日に、
湯(風呂屋)に行くって出て、まだ帰(け)えってこねェ。
長げェ湯だなーって、感心してんでサー」
ン、何をいわせんだい。
ちゃんと、家にいますよ。
今朝ァー、家を出る時はいた。(なんか、頼りない)(T_T;
結婚はめでたいが、江戸の離婚に、そう薄暗い悲劇の陰なぞなかった。
そうなんですよ。
江戸は、女性上位の時代でして、
その原因は、女性の数が男性に比べてえらく少なかったから。
その比率は以下の記事で書きましたよー。
ここです↓。お題は「日本橋一丁目再開発ビル」。
http://www.nihonbashi.org/edo/014.html
享保18年(1733)、男性 100 : 女性 57.6 人
これじゃ、嫁にもらおうたって、えらい競争ですねー。
もし、その時代に、今のかあちゃんと一緒になれたら、
そりゃーもー、床の間に飾っちゃうんだから。
すいでもって、上げ膳据え膳、洗濯から、水くみまで、
ぜーんぶ私がやっちゃう。
その嫁だって、好いて旦那と一緒になるって、
つまり恋愛結婚が多かったって聞きますよ。
最初はいいですよね。
恋は盲目ともうしまして、わちきの旦那が世界一!
なーんてね。
ところが、一年もすると飽きてくる。
一年経たなくても飽きるんですよ。
そりゃ、どんな美男、美女でも飽きってあるんでス。
早い娘で、14か15で嫁にいきますから、
飽きが来たころでも、まだ番茶も出花の年頃。
ンー、だから、そりゃ、フレッシュな出会いって無くはない。
旦那より若くって、男っぷりがいいなんて野郎に会っちゃうんですな。
様子が良いばかりじゃなくって、仕事もできて将来有望ってね。
また、恋は盲目ってやつかも知れませんがね。
じゃぁ、今の旦那を何とかしなくっちゃって、
いやぁー、その時代ですから、物騒な事は考えない。
なんせ、生命保険だって無かったッスから。
三行半(みくだりはん)って、ごぞんじでしょ。
旦那が、嫁に突きつける離縁状。
これって、何も書いてなくて、縦に三本線を引いただけって代物も
あったそうですよ。
三行と名前書いて、そこに判ついて、それで「さよならー」ってやつを、
旦那に書かせようって魂胆でサー。
でも、嫁が旦那に何をしたかって話はまだ見たことがないんですがね。
どうやら、人を間にいれて旦那に頼んだって事もあったらしい。
それでだめなら、
「駆け込み寺」としてあの有名な鎌倉の東慶寺に逃げ込む。
そこで尼として3年の修行を終えると、正式に離婚が認められる。
ですから、修行を終えて、
さーァ、これで自由の身だって、
肩で、こうー、風ー切って江戸へ帰ってきたって
女(ひと)がいたそうですよ。
それとか、
追っかけてきた旦那に追いつかれそうになったもんだから、
閉まりかけた寺の門の中に、履いていた草履を投げ込んで、
「そーらみろ、私はもう駆け込んだからサ」と、
ちゃっかり縁を切っちゃったって!
そんな情景を描いた絵があるそうですな。
まぁ、これがすべてじゃございませんで、
悲しい話もあったでしょうね。
でも、その三行半の最後に、こういった書き込みが必ずされていたンです。
「何方え、縁付き候とも一切申分無之候」
(いずかたへ、えんつきそうろうともいっさいこれもうしぶんなきそうろう)
つまり、再婚の自由を保障されてたンです。
旦那の横暴で、涙ながらに、離婚させられたと言うイメージとは
ちょっと違いますね。
ところで、家のかあちゃんは、ちゃんと家にいるんだろうなァー。
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