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【江戸雑学草子】 第40回

2004年03月06日

料亭

 うちの近所で、もう純粋な「料亭」と言えるお店はなくなりました。


 何度かオフ会を開催した料亭「ゆかり」が、改装前は料亭の風情が残って
 いた唯一のお店でした。


 仲居さんの接待が売り物で、それこそ料理を箸で口に運ぶだけみたいに、
 なんでもまかせっきりでしたね。


 一度だけ、町内会の役員忘年会に招かれて食事をしたんですが、
 セルフサービスになれている人にとっては、ひつっこいサービスかも知れ
 ません。


 江戸で有名な高級料亭と言えば、まず日本橋は百川(ももかわ)。


 室町の浮世小路(うきよこうじ)にあったと言うから、日本橋室町二丁目の
 中央通りにそって、確か東レビルと呼ばれてるビルの神田寄りの、
 いまじゃビルの裏手の何もない路地って感じのところなんですがね。


 なんでも、ペリーが来航したとき、饗応するための料理を担当したそうで
 ですから、そりゃぁ大したお店で、食器もすべて自前で揃えたそうです。


 文化文政時代(1804〜30)の百川での会食の様子を、
 石川英輔著「大江戸仙境録」で読みました。


 いわゆる会席料理ですが、まず、テーブルがない。


 すいもの、口取(くちとり=きんとん・かまぼこなどを皿に盛り合わせた
 もの)、刺身、煮物、酢の物が会席膳にのせられて次々と出てくる。


 この当時テーブルを使ったのは長崎だけで、しっぽく料理はテーブルで食
 べたンです。


 テーブル(ちゃぶ台も含む)が日本で一般的になったのは、大正時代です
 から、テーブルと椅子の生活は、わりと最近始まったという事になります。


 また、当時は座布団を使う習慣がなかったので、
 畳の上で直に正座しなくちゃならないから、
 私たちなら、料理を楽しむと言うより、苦行としか言えませんね。


 そう言えば、料亭ゆかりの座敷は、座布団が二枚重ねになっていて、
 上の一枚が半分に折られて、後ろの方が高くなるようにしてある。
 これは、あぐらをかきやすくする工夫でした。
 でも、今は掘りこたつ風にしてあるから、楽と言えば楽ですな。


 百川に並んで有名な高級料亭と言えば、


 浅草山谷(さんや)の八百膳(やおぜん)、深川の平清(ひらせい)、
 柳橋の万八楼(まんぱちろう)、葛飾の葛西太郎(かさいたろう)があった。


 今でもその名前が残っているのは、八百膳だけになってしまった。


 その八百膳は二両もする「お茶漬け」の話であまりにも有名です。
 なぜそんなに高いかというと、お茶漬けに使う水をわざわざ多摩川まで行
 って汲んできたンですな。


 こだわりも、ここまで来ると、お金がもらえるんでしょう。
 あるいは、「粋」を尊ぶ江戸っ子相手だから出来たかもしれない。

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