【江戸雑学草子】 第41回
2004年03月13日
江戸八百八町
八という字は、大げさに言ったり、嘘八百と言う様にでたらめなどを
表すときに使いますな。
するってーっと、八木って、でたらめなんだ?
そう言われても、ううう..。 "(ノ_・、)"
えーッ、お江戸八百八町って、大げさなのかい?
それともでたらめ??
最初は大げさに言ったんだろうが、江戸の町数はそんなに少なくない。
享保九年(1724年)に、将軍吉宗が調べたら、...
なんと、1672あった。
そもそも、江戸の町の60%は武家地で、残りの40%を寺社と町家で
分けたんで、町家は16%の中に詰め込まれていた。
深川江戸資料館に、江戸の町家が再現して建ててあるが、
今のスタンダードより、半分ほど小さく、狭く感じますね。
当時の男性の平均身長が150cmぐらいだったらしいから、
そのぐらいの狭さでも暮らしていけたのか、そんなこたーねえだろう。
今と違って、家屋は2階までしか建てられなかったから、
上にのびようがないし、長屋の2階も、階段を作るスペースがないので
はしごをかけて上がる家が多い。
本郷も かねやすまでが 江戸の内
と、川柳に詠われた、歯磨き粉屋のかねますがあるのは
本郷三丁目の交差点で、これが江戸の北端なら、
今のJR品川駅がある高輪は、南端。
東は、両国橋(深川、本所は省きました)で、
西は、四谷見付、つまりJR四谷駅あたり。
これらを結ぶ線の中が江戸で、その16%の広さを想像してみてくだせい。
そこに、天保三年(1832)の人口調査によると、
男29万7536人、女24万8078人、合計545614人。
これは、町人だけの数で、僧侶や武家の数は入っていない。
人口密度からすると、一平方キロメートルあたり69000人と言うから
現在の人口密度日本一と言われる、東京都豊島区や中野区の三倍だぁ。
そりゃ、もう、隣近所と言うより、
一大家族って雰囲気だったんでしょうねーェ。
だから、わけーわかんねー犯罪も、ストーカーもあるわけなかった。
だって、みんながみんなを知っているわけだからサ。
窮屈だけど、暖かみを感じる町だったわけでござんす。
|